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代表物語

代表物語

改めまして、こんにちは。

株式会社OTEC(SUMIKA Lab)代表の太田竜平です。

株式会社OTECは、住まいをつくる専門会社として2015年4月創業した、まだ若い会社です。

スタッフも20〜40代が中心で、日々家づくりに取り組んでいます。

「子育ての経験を生かし、家事や子育てのストレスを減らす提案で、

 もっと多くの方に楽しい子育てをしてほしい」

「飯田下伊那地域の方々に、デザイン性・安全性・快適性に優れた家で、

 幸せに暮らしてほしい」

「家を見ると“もっとこうすれば暮らしが豊かになるのに”と思うことがある」

――そんなそれぞれの想いを胸に集まったスタッフで、私たちの会社は成り立っています。

このページでは、私が株式会社OTECを立ち上げた背景や、

住宅ブランド名「SUMIKA Lab」に込めた想いについてお話ししたいと思います。

少し照れくさい話もありますが、皆さまの家づくりのヒントになるよう願いを込めて綴りました。
どうぞ、最後までご覧ください。

なかず飛ばすの少年時代、劣等感も抱えて

1982年に阿南町新野で生まれた私。

父が、太田鉄工所(現在の鉄工部)を営む家庭で育ちました。

どんな少年時代だったかと問われると、

今思い返しても「これ」と言えるようなことがないくらい、

目立たない子どもだったと思います。

続けていたことといえば野球。

中学・高校と部活動に励んでいましたが、

「すごいね」と言われるような選手にはなれず、

チームを引っ張る仲間と比べては、どこか劣等感を抱いていました。

そんな中でも、一つだけ好きだったことがありました。

モノづくりに没頭する原体験

父が鉄工所を営んでいたこともあり、私も子どもの頃からよく手伝いをしていました。

一度やり始めると「どうしてこうなっているんだろう?」と

工程の中で気になることを調べたり、

少しずつのめり込むようになっていきました。

その影響か、学校の授業で好きな科目は理科(工作)でした。

電気をいじって小さな温室をつくったり、先生に教わりながら装置をつくったり。

授業の枠を飛び越えて深く研究することが面白い——そんなふうに感じていました。

ではなぜ、理科ではなく建築の道を選んだのか。

それは、小学3年生の頃に父が実家を建てたことがきっかけだったと思います。

父が自ら家の図面を描き、それを地元の大工さんがカタチにしていく——。

その様子を見て、「家づくりって面白い」と感じたのです。

それからは、住宅の広告を見ては間取りをチェックしたり、

家を建てた後の増築や改築を見て「もっと良くなるはず」と想像を膨らませたり。

気づけば、家づくりという世界に強く惹かれていました。

川島先生との出会い、認められた設計プラン

建築科のある高校を卒業し、大学も建築学科へ進みました。

そして、私を建築の世界にどっぷりと惹き込んでくれたのが、

研究室で出会った川島先生です。

 

ここまでの話から「もともと建築が好きだった」と思われるかもしれませんが、

実は大学入学の時点では、そこまで強い情熱があったわけではありません。

どちらかと言えば「好きだから選んだ」という程度で、

大学も深く考えずに決めてしまったくらいでした。

そんな私に、建築の面白さを教えてくださったのが川島先生です。

先生が教えてくれた「建築学」は、私の探究心に火をつけました。

ものの考え方から建築の歴史、そしてデザインの大切さまで──

そのすべての教えには明確な「根拠」がありました。

論理的に考えることが好きな私にとって、その授業は刺激的で、

どんどんのめり込んでいきました。

 

「これから自分は、建築をやっていく」

そう心に決めたのは、卒業研究の発表のときです。

課題に対して間取りをつくり、コンセプトとともに発表するという内容で、

先生から「満点」をいただけたんです。

憧れの先生に認めてもらえたこと。

そして、これまで劣等感を抱えてきた自分が、

“自分だけの武器”を見つけられたような感覚。

あの瞬間の喜びは、今でも忘れられません。

 

「建築の道を極め、いずれは経営者として最高の建築会社をつくる」

その志を胸に、私は大学を卒業しました。

世の中そんなに甘くない、学生の時とは違う

大学・大学院を卒業し、「建築で人の暮らしを良くしたい」という志を胸に、設計事務所へ入りました。

しかし、社会に出て最初に感じたのは、理想と現実の大きな違いでした。

みなさんも社会人になったときに感じたことがあるかもしれません。

“学ぶこと”と“仕事にすること”の違いに、私は大きな戸惑いを感じました。

「建築業界って、こんな世界なのか?」

朝から晩まで働きづめ。休みもほとんどなく、残業は当たり前。もちろん残業代も出ません。

気づけば、月の労働時間は300時間を超えていました。

それでも一番つらかったのは、時間をかけてつくったプランが、検証されることもなく、

上司の「変更」の一言でゼロからやり直しになることでした。

いくら頑張っても、生産性が悪く、成果が見えない。

「良い家をつくる」という探求ではなく、ただ「作業をこなす」ことが仕事になっている。

当時は、私のいた事務所だけでなく、そうした風潮が業界全体に根付いているように感じました。

「何かが違う……」

そう感じ始めた頃、時代の逆風が、建築業界全体を襲いました。

リセットしよう、自分が本当にやりたい住まいづくりを実現するには?

いずれは独立して、自分の設計事務所を構えたい。

そんな想いを胸に飛び込んだ建築の世界でしたが、

前述のような環境の中で、精神的にも体力的にも限界を感じていました。

そんな折、世の中を大きく揺るがすリーマンショックが起こり、仕事は激減。

「挫折」と言っていいほどの打撃を受けました。

このまま建築の道を進み続けるべきなのか。

自分は何のために建築をしているのか。

考えに考えた末に出した答えは――

「一度、リセットしよう」

そう決めて、実家に戻ることにしました。

その間一級建築士の資格を取得していたこともあり、

父が営む鉄工所の手伝いをしながら、

「自分は本当に何がしたいのか」を問い続ける日々が始まりました。

悶々とする日々を支えた仲間への想い

建築の道に進むべきか──それとも、違う道を探すべきか。

答えが「否」とはっきり言えなかったのは、同じ想いを共有する仲間の存在があったからでした。

一級建築士の資格を取るために通っていた学校で出会ったのが、

今、共に働いている設計士の天野です。

彼とは、資格取得を目指して共に励んだ仲間でした。

時には、朝まで語り合いながら飲み明かしたこともあります。

「何かが違う」「もっと、良い家づくりのあり方があるはずだ」

そんな想いを共有できたのが、天野でした。

やがて、それぞれが別々の設計事務所で経験を積むようになっても、

私の中にはずっと、

「いつか独立したら、彼と一緒にやりたい」

そんな想いがあり続けました。

求められた、住まいづくり

実家に戻ってまもなく、ある相談が舞い込みました。

「家づくりの相談をしたい」

父の知り合いの方からの引き合いでした。

私が実家に戻ったと聞いて、声をかけてくださったのです。

これまで、自分からではなく「相談されて始まる仕事」というのは初めてで、

どこか新鮮な気持ちでした。

お話を伺い、課題を整理し、解決策を提案する──。

その一連の時間が、驚くほど楽しかった。

「あぁ、これが本当にやるべき建築なんだ」

お客様がいて、その悩みや願いを叶えるお手伝いをする。

文字にすれば当たり前のことですが、私はそれまで“お客様のいない建築”をしていたのかもしれません。

「あぁ、これが私の感じていた違和感の正体かもしれない」

そう気づいたとき、改めて「お客様のための住まいづくり」をしていこうと決意しました。

そして、独立への道を歩み出しました。

家ではなく、”SUMIKA(すみか)”と名づけたのは、

「そこに“人”が暮らしてこそ家である」という想いを込めたからです。

世の中そんなに甘くない、求められるSUMIKA(すみか)づくりとは?

ブレない志をもって独立。

しかし、それだけでうまくいくほど甘くはありません。

独立して経営していくということは、

“仕事をいただいてから取り組む建築”とはまったく別の世界です。

お客様から選ばれるための「ブランド」をつくること。

より多くのご家族に喜んでもらえる「組織」を育てること。

建築の勉強はしてきたけれど、経営についてはまったくの素人でした。

創業から1〜3年のあいだは、

「お客様が来ない」という大きな壁にぶつかりました。

2000万円の赤字、倒産の危機

「建築を続けずに、システムエンジニアになっていればよかったか──」

お客様がいない日々は、本当に辛いものでした。

志は建築にありましたが、性に合っているのでは…と感じていた

プログラムやシステムの仕事へ“逃げたい”と思う日もありました。

会社を起こしてからの数年間は、まさに倒産の危機との隣り合わせ。

単年度で2,000万円の赤字を出してしまった年もあります。

仕事が来ない。お金も減る。

「どうすればいいのか」も分からない。

それでも──「ここで折れたらすべて終わってしまう」

その一心で、外に学びを求めるようになりました。

藁にもすがる思いで、全国の勉強会や経営セミナーに参加し、

必死にヒントを探す日々が始まりました。

住まい手目線でつくった「カーテンを開けていたくなる平屋」

もがくように、さまざまな勉強会に参加しました。

その中で出会ったのが、現在の SUMIKA Lab のフラッグシップモデルでもある「平屋」です。

 

お客様の間で人気が高まりつつあった平屋。

当時、地元・飯田ではまだ平屋づくりを専門にしている会社が少なく、

「求められているのなら、やってみよう」と思い立ちました。

建築家の視点ではなく“住まい手の目線”での家づくりを探求しはじめたのです。

その中で、いくつもの気づきがありました。

〉父の建てた実家も、子どもが独立してからは2階が空いてしまってもったいないな。
〉飯田の地域なら敷地も十分にとれるし、家族が分断されない間取りもできそうだ。
〉省エネが求められる時代だからこそ、コンパクトで効率的な間取りもいい。

でも、弱点もありました。

それはプライバシーの確保。

「中庭をつくれば、外からの視線を気にせず暮らせる家になるかもしれない」

——そう思いついた瞬間、心がワクワクしました。

こうして誕生したのが、

『カーテンを開けていたくなる平屋 』『中庭のある家』

住まい手の目線で考えたこの家には、たくさんの反響をいただきました。

住まいだけではなかった、求められた打ち合わせの「質」

反響をいただく中で、もう一つ、お客様が本当に求めているものに気づきました。

それは、あるお客様との打ち合わせでの出来事でした。

それまでは、2週間ごとに少しずつ家を完成させていくような打ち合わせをしていました。

しかしそのお客様は、毎回ご意見が変わってしまい、プランを何度もゼロから書き直すことに。

私たちも正直つらい状況でしたが、それ以上にお客様自身が、

「自分の本当にやりたいこと」が見えずに悩まれていたのです。

 

「…なんとかできないか?」

考え抜いた末にたどり着いた答えが、

“その場で間取る” という新しい打ち合わせのスタイルでした。

3Dシステムを使って、お客様のお話を聞きながら、私がその場でカタチにしていく。

すると——

「そうそう、そういう感じ!」

その瞬間、イメージの共有ができ、私たちの提案もぐっと深まっていきました。

打ち合わせが終わるころには、お客様がみな “スッキリとした表情” で帰られるようになったのです。

「これだ。」

 

そこからさらに、

打ち合わせの合間にも細やかにやりとりを行うこと、

細部のこだわりを叶えるためにコーディネーターという役割を設けること、

お子さま連れでも安心して打ち合わせできるようにキッズシッターを配置すること——。

そうした工夫を積み重ねる中で、

「SUMIKA Labで家を建ててよかった」と言ってくださるお客様が増えていきました。

しかもその理由として、多くの方が「家づくりの過程」を挙げてくださるようになったのです。

「言えない」ことへの理解 

SUMIKA Labは、システムの活用が得意な会社です。

それは、若いメンバーが中心ということもありますが、

一番の理由は——

私自身が「コミュニケーションが得意ではなかった」ことにあります。

経営者というと、よく話し、社交的な人というイメージがあると思います。

でも私は、どちらかというと「研究者タイプ」。

話すよりも、こうして文章で想いを伝える方が落ち着くタイプなんです。

気を使ってしまうんですよね。

「話せない」のではなく、「言えない」。

想いはあるのに、言葉にすることが難しい——。

そんな私が印象に残っているお客様がいます。

二世帯住宅を建てる際に、お庭を共有にするかどうかでご夫婦の意見が分かれました。

ご主人は「一緒でいいじゃん」と。

奥様は、実は「それぞれの空間がほしい」と思っていらっしゃった。

私は以前のメモにそんな気配を感じていたので、

その場で、どちらのパターンの間取りも3Dでカタチにしてお見せしました。

ご主人:「分かれていても悪くはないよね」

奥様:「なら、できれば…」

そこから、ご希望通りの間取りが出来上がりました。

私は、あまり「言えない」性分だからこそ、

人の想いを汲み取ることに意識が向くのかもしれません。

言葉にしづらい想いを、カタチにする。

「言えないことを表現する」——

それが、SUMIKA Labの打ち合わせ・間取りづくりのこだわりのひとつです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

最後に、少しだけ「私自身の家族のこと」をお話しして、

このストーリーを締めくくりたいと思います。

妥協せず、心地よい空間を探求して欲しい

フラッグシップモデルである「カーテンを開けていたくなる平屋」を、

数年間モデルハウスとして使った後に、家族で引っ越しました。

率直に言って——とても快適です。

平屋ならではの自由度があり、

中庭のおかげで、外の視線を気にせず過ごせる安心感があります。

どこか「守られているような」心地よさがあって、よく眠れるんです。

「家事をやらない人に、家づくりはできない」

これは、ある勉強会で学んだ言葉。

その教えに従って、私も家事をしています。

本当は妻に自分流のやり方があると思いますが、

仕事のために少し分担してもらっています。

新しい家で暮らしてみて、改めて感じます。

住まいは、家族の人生に大きく影響する。

私自身、「マイホームを持ってよかった」と心から思う一人です。

持ち前の“オタク気質”で、家の温度や素材のデータを取ったりしています。

それくらい、自分の家が好きなんです。

これから家を建てる方にも、

ぜひ「自分たちにとって最高の心地よい空間」を

追求してほしいと思っています。

今の時代、ご夫婦ともにお仕事をされている方が多く、

毎日が本当に忙しいと思います。

だからこそ、限られた時間の中でも

納得できる家づくりができるよう、

私たちは準備を整えてお待ちしています。

 

SUMIKA Lab

住まいを探求する。

良い家づくりのために、
私たちはこれからも、プロとして探求を続けます。

この考えに共感していただけたなら、

あなたにとっての「心地よい=ととのう暮らし」を見つける探求を、

ぜひ一緒に歩ませていただけたら嬉しいです。

株式会社OTEC(SUMIKA Lab) 代表取締役 太田 竜平